天井
天井の高い家に、憧れる。
圧迫感がなく、開放的な空間は、さぞかし気持ちの良さそうだ。
しかし、だ。
スロットの天井は、高くない方がいい。
むしろ、手の届く範囲でお願いします、という感じだ。
スロットでいう「天井」とは、ある回転数まで回せば、必ず何かが起きる救済機能のことだ。
天井は一種類じゃない。
回した回数で保証される「ゲーム数天井」。
当たりやすさの波が一周すると保証される「周期天井」。
チャンスゾーンを外れ続けた回数で保証される「CZスルー天井」。
つまり、「ここまで来れば、何かしら起こしてあげるからね」という、台との約束のようなものだ。
一方で、パチンコには天井がない。(一部あるが)
何時間打っても、何万発使っても、「ここまで来れば必ず」という保証はどこにもない。
だから怖い。
多くの人は、ある程度のところで本能的に手を引く。
スロットには保証がいくつも用意されている。
一見すると、とても親切な仕組みだ。
でも違う。
保証は、安全装置じゃない。
安心するための言い訳だ。
「あと◯◯回転で天井だ」
その数字が見えた瞬間、人は止まる理由を失う。
当たりが保証されているだけで、投資した金額が戻るわけではない。
本来ならヤメ時はとっくに過ぎているはずなのに、保証された未来が見えているせいで、「ここで降りるのはもったいない」という計算が働いてしまう。
天井がないパチンコなら、判断を自分の感覚に委ねるしかない。
でも、天井のあるスロットでは、判断を機械との約束に委ねてしまえる。
ヤメ時を決めるのは、本来は自分だ。
でも、保証が見えると、その仕事を機械に丸投げできる。
だから楽だ。
だから危ない。
私には、その丸投げを何度もやった記憶がある。
天井という数字に、自分の意思を預けたことが、何度もある。
気づくのは、いつも財布が軽くなったあとだった。
判断は、筋肉に似ている。
使わなければ衰える。
頼れば頼るほど、自分では動かなくなる。
天井が「ここまで来れば大丈夫」と教えてくれるたびに、自分の中の「もうやめよう」という感覚を使わずに済む。
一回くらいなら、たいした問題じゃない。
でも、それを何度も繰り返すとどうなるか。
自分の感覚で「ここでヤメる」と判断する力が、少しずつ鈍っていく。
気づけば、保証がないと何も決められなくなっている。
ホールを出ても、この癖だけは残る。
保証に判断を預ける癖は、案外そのまま日常へ持ち込まれる。
これは、スロットだけの話じゃない。
「ここまで数字を出せば評価される。」
「これだけ仕上げたら昇進がみえてくるかも。」
そんなラインが見えている仕事は頑張れる。
でも、そのラインが見えない途端、急に動けなくなる人がいる。
保証なしで、自分の感覚を信じる筋肉を、ずっと使ってこなかったからだ。
仕事だけじゃない。
人との距離も、同じだった。
保証なんて、最初からなかった。
合わないと感じていた関係から、距離を置いたことがある。
誰も「もう離れていい」なんて教えてくれなかった。
ただ、自分の中の違和感だけを頼りに判断した。
その判断が正しかったのか、今でも分からない。
でも、心だけは軽かった。
失っていたのは、お金じゃない。
自分で決める力だった。
ふと、布団に寝転んで、天井を見上げることがある。
スロットの天井には、保証がある。
でも、見上げているこの天井の先には、何の保証もない。


天井寸前で当たりを引いてしまい頭抱えている人を見たことがあります🤭
「天井」と聞いたら真っ先にソシャゲのガチャを思い出すワイが通りますよっと。
天井は救済措置でもあるけどそうでもないってのはまさに!って感じですねw